同じような表現が偶然に創作されることはあるわけです。
では、複製権や翻訳・翻案権を侵害した、というためにはどのような要件が必要なのでしょうか。
複製権を侵害した、というためには、侵害されたとされる著作物に「依拠」して創作されたことが必要となります。
「依拠」とは、侵害されたとされる著作物の存在や内容を「知っていた」こと、とされます。
では、侵害されたとされる著作物を「見た」という事実の立証までが必要か、と言うとそうではありません。
侵害されたとされる著作物に「接する機会」の有無を判断要素としています。
例えば音楽の著作物で複製権の侵害を主張された場合であっても、侵害されたとされる音楽の著作物が有名ではなく、侵害しているとされる著作物の著作者が聞く機会がないのであれば、両方が似ているものではあっても「依拠」したとはいえないと考えられます。
一方で、まったく違う「思想又は感情」や「アイデア」、あるいはコンセプトといったものを表現した場合であっても、同じような「表現」にならないとは限りません。
特に、抽象的な表現であれば同じようなものになりがちである、ということもあり得ます。
(ただし、誰が表現しても同じようなものになってしまうようなものであれば、ありふれた表現として保護されない、という点が問題になります。)
同じ表現であっても、「依拠」がなければ著作権の侵害にはなりません。
「依拠」、つまり既存の著作物に「接する機会があった」かどうか、ということについては、侵害しているとされている著作物の著作者の職歴などから総合的に判断するとされています。
また、「第三者が既存の著作物と同一或は類似のものを作成した場合、それは依拠したことを推認する資料となりうるのであつて、それが酷似すればする程その度合は強くなるといえる」とした裁判例があり、類似の度合いによっても依拠性を裏付けることになる、としています。
さらに、「(侵害されたとされる)書籍と完全に同一である理由について、何ら合理的な説明」をしていない、ということを指摘して、依拠していないという主張を退けた裁判例があります。
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